大学はどうあるべきか――シェリングの時代から現代へ
Wie sollte die Universität sein?――Von der Schellingschen Zeit zur Gegenwart.
藤田正勝(京都大学・哲学)

 シェリングは1802年にイェーナ大学で「大学における学問研究の方法について」という題で講義を行い、それを翌年出版した。この時期、シェリングはいわゆる同一哲学の立場に立っていたが、その時期にこのようなテーマで講義を行ったのは、当時の人びとの関心が実利的なものに向けられ、教育や研究も実学的なものへと大きく傾きつつあったからである。たとえば一方でバーゼドー(Johann Bernhard Basedow)らの汎愛主義の教育運動などにより実科教育の重要性が強調されたのに対し、フンボルト(Wilhelm von Humboldt)ら、いわゆる新人文主義の流れに属する思想家たちは人間の形成(教養)の意義を強調した。このような論争がシェリングの講義の背景にあったと考えられる。またカントが1798年に発表した『学部の争い』(Der Streit der Fakultäten)からもシェリングは大きな刺激を受けた。本発表では、シェリングの『学問論』とカントの『学部の争い』、さらに現代のいくつかの大学論を手がかりにして「大学はどうあるべきか」というテーマで少し考えてみたい。
 カントもシェリングも、「有用なもの」こそがすべてのものを評価する最高の基準であるという実用主義的な考え方に対して批判的であった。また二人は、大学が(あるいは哲学部が)十全な学問活動をするためには国家からの自由が必要であることを強調した。しかし両者のあいだには違いもまた存在する。カントは上級学部と対立する下級学部として哲学部を問題にしたが、シェリングは、哲学部というものはそもそも存在しえないと考えた。実際に存在しうるのは「諸芸術の学部」(Fakultät der Künste)であるというのが、シェリングの考えであった。
 以上のようなカントとシェリングの大学論に対して、これまでさまざまな評価がなされてきたが、本発表では、加藤泰史の「理性の制度化と制度の理性化――『学部の争い』の現代的意義」とジャック・デリダの「哲学を教えること―教師、芸術家、国家―カントとシェリングから」とを取りあげて、二人のもつ大学論の現代的な意味について考えてみたい。